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大阪高等裁判所 昭和29年(ネ)482号 判決

控訴人 株式会社松前屋

右代表者代表取締役 松村アヤメ

右訴訟代理人弁護士 阿部甚吉

同 板持吉雄

同 和久井宗次

右訴訟復代理人弁護士 熊谷尚之

同 鬼追明夫

同 平山芳明

被控訴人 小島文右衛門

右訴訟代理人弁護士 浅井精三

同 酒井信雄

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

右部分についての被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審ともこれを被控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、被控訴人先代小島文右衛門が明治三一年七月、自己の商号として「松前屋」なる商号の登記を受けたこと、及び控訴人会社が昭和二五年一月二〇日以来、その商号として「株式会社松前屋」なる商号を使用し、昆布の加工食糧品の製造販売業を営んでいることは当事者間に争なく、被控訴人自身が先代の登記商号を引続き使用し、同じく昆布の加工食糧品の製造販売業を営んで来たこと(但し、被控訴人の使用する商号が、その相続登記なくして、控訴人に対し如何なる効力を及ぼすかの点はしばらく措く)は、成立に争のない甲第八〇号証の一ないし五≪中略≫の結果、(原審、当審)に徴してこれを認めることができる。

二、ところで被控訴人は、控訴人の右商号使用が、商法第二〇条、第二一条にいわゆる不正目的又は不正競争目的を以てする不正使用、或は不正競争防止法第一条にいわゆる不正競争行為としての使用である旨主張するので、この点を審案するにあたり、先ず双方の営業の状態及び商号の選択、使用の由来、経過を検討することとする。

三、前掲各証拠、及び成立に争のない甲第一ないし一四号証(第三、四、六、七、八、九、一二、一三号証は各その一、二)官署作成部分の成立につき争なく、当裁判所においてその全部の成立を認める甲第一五ないし六四号証≪中略≫を綜合すると、被控訴人の商号「松前屋」は遠く南北朝合体当時後亀山天皇より屋号として下賜されたと伝承するもので、被控訴人の祖先は先々文右衛門を襲名し、数百年来昆布の加工販売を業とし、初めは主として禁裏即ち皇室及び公卿貴族の御用を勤めていたが、徳川時代以降漸次禁裏以外にも納入するようになつたとする由緒ある老舗であつて、右の伝承を裏書する如き相当の資料をも今に保存していること、その製品はいわゆる父祖伝来、一子相伝の製法を守る優秀品として、明治以降においても、諸所の博覧会、品評会等に出品して賞状を獲得し、大正、昭和に入つても天覧、台覧を賜わり、御買上又は御用達の栄に浴する機会を持ち、一般の昆布加工品に比して特に優良な品質と、宮中、上流社会よりの特殊の愛顧を誇つて来たものであること、その店舗は明治以前より現在の被控訴人店舗と同一場所(京都市中京区釜座通り丸太町下る桝屋町)に在つて、他に支店、出張所を設けることもなく、又、特に工場をも設置せず、近時においてはその企業は店主と家族その他少数の手伝人による自家製作品の販売即ち家内工業的営業規模を維持しているものであつて、昭和一七年頃以前即ち終戦前までは、その販売は、右の店舗販売のほか、遠隔地よりの郵便による注文を受け送荷の方法により販売し来り、被控訴人の営業の由緒と商品の真価を知る顧客は、その数の多少は別として、比較的全国諸地方に拡がつていたこと、終戦後においても右の家内工業的規模を以てその営業を継続し、昭和二六年頃より京都市四条通の高島屋、東京都の三越の両百貨店に年一、二回出品するようになつたほかは、在来の店舗販売と注文による送荷販売に頼り、その店舗の存する前記場所の現況は、京都市中のむしろ住宅街ともいうべき可なり人通りの少ない場所であつて、その店舗の外観も極めて地味な老舗の構えであり、店内には数種類の昆布佃煮類(即ち塩昆布類)若干の見本商品類を展示する程度で、商品の多種、豊富性は見掛けられず、営業も主に被控訴人本人が担当し、同人の妻と妹及び長男が手伝うほかに雇人も置かず、来客は著名人や上流の人士(但し主に実業界方面)が多く、販売品は佃煮製品で一家相伝の製法を誇る「比呂女」が主であつて、最良質の原料を使用し、その売価は四〇〇瓦一、七〇〇円の特別高級品(高級品の約二倍)であり、他に角揚(四〇〇瓦、三、〇〇〇円)の類、菓子昆布類も若干の売上があり、一般大衆向の商品も売つており、これを需める来客も若干はあるが、右の比較的少量の在庫品以外は、注文に応じて製造すること、店頭販売が主であるが来客は一日七、八名程度で全く客のない日もあること、昭和二七年度の申告事業所得額は金一三万円であること、大阪方面の百貨店等には出品していないこと、需要は来客と郵便電話等による注文に俟ち、新聞、ラジオ等による積極的な宣伝、広告には殆ど乗気がないこと、主要な顧客は、価格の如何に拘らず、品質の優秀を求める類の者であること、被控訴人の企業と商号は、京都方面における同業者の一部、官公庁、在来の顧客、大阪方面における原料取引先その他一部の原料店、一部の同業者、地域を問わず特に昆布製品に趣味を持つ者、又はいわゆる名品を求める一部好事家には知られていることは明らかであるが、その他の一般大衆にはどの程度知られているか明らかでないこと、以上の諸事実が認められ、証人小島道之助の証言(第一、二、三回)、被控訴人本人尋問の結果(原審、当審)中右認定に牴触する部分は措信し難く、甲第七一ないし七六号証その他被控訴人のその余の全立証を以てするも右認定を左右しない。

四、成立に争のない乙第一ないし一〇号証≪中略≫を綜合すると、控訴人会社(会社目的は、海産食料品の販売、水産食料品の販売、右に附帯する一切の事業)の商号「株式会社松前屋」は、昭和二五年一月二〇日控訴人会社の設立と同時に商業登記せられたが、その以前に、控訴人代表者松村アヤメとその亡夫松村弁次郎の子松村勉の商号として「松前屋」が昭和二二年七月一二日に登記せられていたこと、右弁二郎はもと藤井姓の二十二才の頃より約三年間大阪の昆布加工品店の老舗小倉屋の一家に属する訴外長尾忠吉方に徒弟として勤めた上、独立して昆布加工店を始めたものであるが、その開店に際し、「小倉屋」ののれん分けを貰う資格がなかつたため、「小倉屋」を称することを許されず、右小倉屋の組長松原国太郎等に相談した結果、「小倉屋」の商標「やま久」(久)の代りに「不二久」(久)の使用を認められると共に、商号として新たに「松前屋」(原料たる昆布のうちで有名な松前昆布の名にちなんだものか、右組長松原の名に因んだもの)を選び称することを勧められ、大正四年前後に大阪市西区立売堀北通二丁目に最初の店舗を構え、大正六年頃同市の最も繁華商店街である南区心斎橋筋二丁目なる控訴人の現店舗の位置に移転し、大阪名物久「松前昆布本舗」、又は「松前屋」と称して、とろろ昆布、塩昆布(佃煮)、菓子昆布、その他各種の昆布加工品を販売し、漸次盛大となり昭和一一年には名古屋市松坂屋百貨店に開設せられた名物街にわが国東西における著名食品店四店の一つとして、東京のコロンバン、有明家、京都のとらや黒川と共に、大阪の老舗昆布店「松前屋」として出店を開設するまでに名を掲げ、又大阪市内では昭和七年頃朝日ビル内に開店した市内の一流店を以て組織する専門大店にも販売所を設けるに至つたこと、その間に昭和八年頃から営業主体は会社に改組され「株式会社松前屋」として同一場所にて営業を継続したが、戦災後一旦右会社を解散し、弁二郎(昭和一四年一月死亡)の妻アヤメがその子勉の名義で昭和二一年一一月頃から個人営業として「松前屋」を称して再発足し、昭和二二年七月前記商号「松前屋」の登記を受けたほかに、商標としても久、及び「松前屋」の各登録を同年中に申請し、昭和二四年三月これが登録を受けて、右「松前屋」を商号と共に商標としても使用して来たので、昭和二五年一月右個人営業を改組して控訴人会社として設立登記をなすにあたり、「松前屋」を控訴人の商号として選んだものであること、控訴人会社の営業の現況は、前記心斎橋の店舗を本店とし、市内では阪神百貨店の甘辛のれん街、高島屋、松坂屋、阿倍野近鉄、上六近鉄の各百貨店、天王寺駅、東京都では銀座松坂屋、上野松坂屋、白木屋、西武の各百貨店、その他の地方では姫路、九州、北陸方面にそれぞれ支店ないし販売所を設け、その従業員は販売部門のみで一〇〇名を越え、製造部門は別個独立の企業として相補つており、右本店で販売する商品種目は塩昆布類、だし昆布菓子類等で合計六〇種前後に別れ、店頭にも多種多様の商品を陳列し、その品質、価格についても、大阪市において最古の老舗を誇る小倉屋の諸昆布店とその優劣、上下を競い、市内の最高水準に達し、塩昆布類の代表品「とこわか」は四〇〇瓦七二〇円、だし昆布類の代表品おぼろ昆布の「白波」は四〇〇瓦八〇〇円(いずれも昭和三六年三月現在)であるが、これらの上質品のほか中級品、普通品も豊富に取揃えて販売し、大阪市内の最高商店街に在る地の利と、各支店販売所による積極的販路拡張による業績増加と相俟つて、年間総売上高三億円を呼号する程度の盛況を見せ、大阪の一流名品店の一として自他共に許し、前記「小倉屋」諸店と共に、大阪名物たる昆布加工品商としてはその代表的店舗としての位置を占めるに至つていること、控訴人の顧客は、昆布製品の上質品の愛顧者のみならず、普通一般向きの製品を求める一般大衆を対象とし、これに相応する経営方針を採り、宣伝、広告による販路拡張をも怠つていないので、前記の東京方面への顕著な進出、販売量の絶対的増大等のために、現在においては、一般顧客に対するその商号の認識普及の度合即ち著名度は、被控訴人のそれを余程上廻つていることが窺われること、以上の諸事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

三、次に被控訴人と控訴人との両者の交渉関係を検するに、成立に争のない甲第七〇号証≪中略≫によると、被控訴人はかねてより大阪方面でその原料の買付をしていたにも拘らず、戦前同市内に「松前屋」なる店舗の存することを知らず、昭和二五年七月頃に至り初めてこれを聞き知り、早速その子道之助とその友人達をしてその真偽と実情を探知させ、また同年一一月頃訴外大住壮夫に依頼して控訴人方へ調査と交渉に赴かせたが、不成功に終つたこと、証人横山岩吉≪中略≫を綜合すると、大正四年頃大阪市内において、松村弁二郎の開店した当時には、「松前」の名を称する者は夜店の露天商のほかには他に見当らないというので、商号「松前屋」を称することになつたが、昭和一四、五年頃昆布原料が配当統制を受けるに及び、被控訴人の原料仕入先である大阪方面における原料問屋間に逐次被控訴人の名が知られるようになり、また当時の大阪「松前屋」の使用人横山岩吉、河崎幸一等は、昭和一八年頃統制の強化された時分に至り、原料の買付関係から、京都に「松前屋」を称する店があることを薄々ながら聞き知るに至つたが、その所在、営業の実態などを了知するに至らなかつたこと、従つてまたその当時、及び戦後以降においても、前記松村勉及び控訴人代表者においても、京都市内における「松前屋」の存在について右の程度の事情を知つていたことは推測できるが、それ以上の認識があつたことは明らかでなく、むしろ本件紛争生起後において初めて確実に被控訴人店舗の所在と営業実態を把握するに至つたものであること、の各事実が認められ、右認定に反する証人小島道之助(第二回)、松村勉の証言、控訴人代表者尋問の結果(原審、当審)はそのまま採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

六、以上のような事実関係に立つて、控訴人の昭和二五年一月当時における「株式会社松前屋」なる商号選定が、先ず商法第二一条第一項(未登記商号に対する侵害)、又は、同法第二〇条第一項(既登記商号に対する侵害)に該当する行為と見られるか否かにつき検するに、右各法条にいう「不正の目的」又は「不正の競争の目的」を以て控訴人が右商号を選んだことについては、控訴人の被控訴人商号の存在の認識と価値が上述の通りの程度に過ぎない事実と、控訴人の事実上承継した従前の営業の既成名声の度合とに徴して、両者の商号が客観的に同一ないし類似のものであつたという事実のみからは、たやすくこれを推認することはできず、むしろ、控訴人は右法条による不正目的を有しなかつたものと推測することができる。けだし、前認定事実によれば、控訴人が被控訴人の商号使用を知つていた程度は、単に伝聞による商号使用者の存在程度を多く出でず、その商号の由来、名声、その営業と営業者の実態を確知していたとは認め難いこと既述の通りであり、従つてその商号の価値を正しく認識し、これが使用による効果を計算期得し、専らこれを意慾してこれを選定使用したものと推測するべき資料に欠くるのみならず、反面において、前記松村弁二郎が大正六年頃より「松前屋」商号を以て心斎橋に進出して以来すでに三〇数年を閲し、その間に同所において築き上げた右商号による営業実績は見るべきものがあり、すでに大阪における斯界の一流店に伍し、名古屋地方にまで進出するに至つていたものであつて、本件商号の選択、使用は、右の商号を事実上承継する趣旨に出たものである以上、これに他の不正の企図を憶測するはむしろその理を外れたものであり、同時に、右の承継商号については主観的にも自信を持ち、客観的にも右の自信を裏付ける実績と老舗の利益が存していたことが充分に推知し得るから、かかる商号はむしろ自らのものとして利用し、これを維持普及させる趣旨が専らであり、他人の商号、殊に後述の如く、当時京都市に在つて、果して大阪の一般顧客にまで、よく認識されていたか甚だ疑わしい被控訴人の商号の使用の利益を略取する意図を包含ないし主意としたとは到底認めることはできないからである。また前述の事実に徴し、従来商号の続用が、当時の事情に照らして不当の意図を推測されるような状況にあつたことも肯認できない。証人小島道之助(第二回)は、昭和二五年七月当時控訴人の店の者が、客の質問に対して、控訴人の営業が京都の「松前屋」と同じものであると答えた旨の証言をするが、それが真実であつたとしても、かかる事実のみにより、控訴人の前記商号選択の主旨に関する前認定を覆して、それが主として被控訴人商号の不正使用の意図に出たものと認めるには足らず、又、控訴人が自己の商号使用に際し、株式会社を省いて単に「松前屋」と称していることも、かかる使用方法が、正式の名称表示を必要としない場合には世上往々認められるところであるから、これを以て殊更に被控訴人の商号に似せてこれを不正使用する意図があつたものとする資料として採用するには足らず、その他被控訴人の全立証に徴するも、控訴人の本件商号選択について、その不正目的又は不正競争目的を肯認することはできない。そうすれば被控訴人の右商法第二〇条、二一条を根拠とする請求は、他の点につき審理判断を俟たず、失当といわねばならない。

七、そこで次に被控訴人の不正競争防止法第一条第一、二号該当行為に因る信用阻害行為(同法第一条の二、第二号)の有無につき判断する。ここで被控訴人の主張する不正競争行為は、控訴人による他人即ち被控訴人の商号の使用(これによる商品の混同及び営業施設、営業活動の混同)を指すものであるから、先ずその使用商号たる被控訴人の商号が、右法案にいわゆる「本法施行の地域内に於て広く認識せらるる」商号であるか否かを検討する。ところで、ここに「認識」の相手方を定めるについては、競争関係に在る両者の営業の種別、形態を見るを要するところ、前認定事実によれば、被控訴人と控訴人はいずれも昆布加工品を自ら製造し、自ら小売販売する者であるから、右法条にいう「認識」の相手方は、ここでは主として小売商としての顧客即ち一般大衆であつて、原料商その他の専門業者は、この考察においては従たる地位を占めるものというべく、また、右法条にいわゆる広い認識の及ぶ「地域」とは、これを一概に決し難いけれども、少くとも競争関係に在る両者の営業活動の及ぶ主要地域を指すものと解すべきであり、双方が小売商である事情に徴すれば、少くとも双方の店舗の所在地を含むものであるべく、これを最少限に見ても、双方の主たる店舗の所在地たる京都市及び大阪市の両地域に跨つて考察すべきは理の当然である。即ち、大阪市その他において小売営業活動を為す控訴人に対する関係において、その不正競争行為として使用する商号の広く認識せられる地域とは、その相手方たる被控訴人の営業活動の中心地たる京都市のみならず、控訴人の営業活動地を含めて考察すべく、否むしろ、控訴人の行為地たる大阪市における相手方被控訴人の被認識対象即ち商号認識の広さが主眼とならねばならない。今この見地に立つて、前認定事実より得られる被控訴人商号の京阪地区殊に大阪地区における一般大衆顧客に対する認識の度合を考察すると、前述のように、被控訴人の営業が、その規模の狭少、宣伝、広告の貧弱、主要商品の特別高級性、従つて特別高価性による顧客層の狭少、即ち非普及性を反映して、一部の特別の縁故による者や実情を知る顧客と一部好事的趣味による愛顧者を除いては、一般大衆に対する商号、商品の認識普及は通常の場合に比して甚だ劣る結果、京都市内においてもその一般普及性は甚だ疑わしく、いわんや大阪市内に波及する一般認識の度合に至つては、殆ど見るべきものがないと称して差支えない。控訴人の支店、販売店等の営業活動の及ぶその他の地域、特に東京方面について見れば、控訴人の顕著な同方面への進出とは別に、被控訴人の郵便、注文がその注文のうちでは比較的同方面からのものが多いことが被控訴人本人尋問の結果(当審)によつて窺われるけれども、これだけでは直ちに、同地方での被控訴人の商号の高度の著名度があり、かつ両者の商品と営業活動が互に混同されているということにならぬばかりか、被控訴人に対する右の遠隔地注文は、むしろかかる注文書が明らかに控訴人と区別して特別に発注している事実を推測させるし、そもそも根本において被控訴人の商号の認識普及が大阪及び東京方面でも広くないものとすれば、不正競争行為の基本条件を充足せず、狭少の認識者を相手とする営業活動が偶然に他と競合したものとして、その牴触結果は甘受するほかはない。これを要するに、本件において控訴人の使用する「松前屋」なる商号が、その使用地域内において、他人(被控訴人)の商号として広く認識せられているものであることは、被控訴人の全立証によつてもこれを肯認するに至らないのである。結局本件は、被控訴人において数百年来の伝統たる老舗と特殊製法による特別優秀品の販売を主眼とする地味な営業方針を多年に亘つて堅持し来り、その名と実を知る者に取つては、他に替え難い価値を見出し、代価の高額にも拘らずその需要の絶たれることのない貴重な営業実態を持つけれども、その反面において、その対象たる顧客には当然限界があり、一般に普及し難い営業的性格を持つに対して、控訴人はひたすら一般大衆顧客を相手方とし、大阪市の中心的繁華街において華々しく宣伝普及発展方策を採り、これまた被控訴人に比すれば期間は短いながら四〇年に垂んとする営業の事実的承継者であつて、自己の商号と営業実力に相当の伝統と自信を持ち、その営業方針はその規模の拡大に役立ち、現在においては大阪における斯界の一流店として抜き難い盛名を持つに至り、結果的には被控訴人の営業規模、営業力を相当の程度これを凌ぐに至つたもので、この両者の関係においては、その営業活動は一部に於ては競合牴触の虞は存するにしても、その顧客層は自ら別異のものが多く、かつ互に意識的に相異つた営業方針を守つて、趣の違つた途を行くものであつて、大局的に見ても、もはや不正競争を以て目すべき限りではない。よつて、被控訴人の不正競争防止法を根拠とする請求も、他の点の判断を俟つまでもなく理由がない。

八、そうすれば被控訴人の本訴請求は全部失当として棄却を免れないところ、これを一部認容した原判決は相当でないから、原判決中右認容部分を取消し、この部分に対する被控訴人の請求を棄却すべく、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長判事 岡垣久晃 判事 宮川種一郎 大野千里)

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